華やかな芸能界で成功し、今はセレブの生活をしているあの芸能人が、実は育った環境は超極貧だった。その凄まじい生活には驚愕
芸能界が命を救ってくれたと言っても過言ではないほどの極貧エピソードを持つ芸能人も。
その超極貧から、超セレブになったギ芸能人とは?!
実は祖父(父方)が、ロシア人というクォーターの東山さん。しかし、3歳の時に両親が離婚。母子家庭で生活は豊かではなく、母は再婚するも、父親の借金から逃れるために住まいを転々としていたそうです。
そんな彼は小学校6年生のとき、母親がもらってきたチケットで、NHK「レッツゴーヤング」の公開番組を見に行き、偶然その場に来た、ジャニーズ喜多川社長の目に止まりスカウトされ、芸能界デビューし成功を収めました。まさにシンデレラストーリーだったんですね。
今は、女優の木村佳乃さんと2010年に結婚。長女、次女が生まれ幸せな家庭を気付いている東山さんです。
出典オスカー
上戸さんは、幼い時に両親が離婚。母子家庭で苦労して生活は貧しかったそうです。
そんな親子の願いでもあり、小学校6年生の時に「国民的美少女コンテスト」に応募し、審査員特別賞を獲得氏。女優となり家庭を支えていったそうです。
CM女王ランクングでは長年、不動の首位だった上戸さん。19歳の時には、女手一つで育ててくれた母に、マンションをプレゼントしたそうです。
現在は、エグザイルのヒロさんと、2012年に結婚し、長女、長男を出産。幸せなママさんです。
貧乏エピソードがハンパない
爽やかなルックスは、90年代人気ノンノモデルとして脚光を浴び、ベテラン俳優となった風間トオルさん。
実は貧乏エピソードが、ハンパなく凄まじい。
風間さんは5歳の時に両親が離婚。父親に引き取られますが、その父親も蒸発し、祖父母に育てられることに。しかし、祖父は認知症で、祖母はパチンコ好きで祖父の面倒を見なかったため、風間さんが祖父の世話をしていたそうです。そして、その生活は凄まじく、食べるものもなく極貧の生活でした。
お腹が空いて、公園の花や土を食べていた風間さん。
花では朝顔が美味くて、特に紫色のあさがおが美味しかったそう。特に、炎天下で石をしゃぶると焦げた味で美味しかった。カマキリを食べたことも。
学校に行くと、欠席者の牛乳をもらうために、いつも欠席者をチャックして回り、風呂がないので、洗濯機で体を洗い、治療費もないので虫歯になったらペンチで自分で抜歯し、交通事故にあった時も、治療費が怖くて、そのまま帰った、など驚愕のエピソードが絶えません。これって現実の話?と思うほどです。
高校に入っても、生活費のためバイトに明け暮れ睡眠時間は2時間、お金がないのでバイクも変えず不良にもなれなかったそう。
転機は23歳の時、85年「ノンノボーイフレンド」に合格し、人気モデルとなり、その後俳優へ。現在も俳優としてドラマで活躍されていて、役者さんと成功して本当によかったですね。
その蒸発した父親は、風間さんが高校を卒業し俳優になったとかぎ付け、金をせびりに、楽屋に来たり、電話をかけてきたそうです。風間さんは、そんな実父でも、今でも、生活費を渡し面倒を見ているそうです。なんだか胸が痛いですね。
15万の生活から、月収1億円へ
実は、父親が「すぐ帰ってくる」と言ったまま蒸発してしまったそうで、これがきっかけで浜崎さんは人間不信になってしまったそうです。
その後、祖父母と一緒に暮らしますが、その祖父母は、太平洋戦争中に朝鮮半島からきた移民で、その生活は、住まいにトイレがないほど貧しかったそう。
生活保護を受けていた時期もあったようで、苦しかった環境が伺えます。
生活保護といえば、収入が15万円以下の家庭が受給できますが、今の浜崎さんは、年収が、数億円、良かった時期では、12億円ですから、考えると、月15万円以下の生活から、月1億円になるまでの大成功した人生だったんですね。
芸能界へのきっかけは以外と早く、小学生の時にスカウトされ、福岡のモデル事務所に所属しました。その後東京へ上京し、サンミュージックに所属。女優として出演するも鳴かず飛ばず、転機が訪れたのは1995年、エイベックス創設者の松浦氏との出会い、歌手として見出され、ミリオンセラーの大スターへ、まさに映画のようなサクセスストーリーです。
90年代後半から、次々ミリオンヒットを飛ばし、ロングヘアーに厚底ブーツなど若い世代の憧れのファッションスタイル「アムラー」が大量に発生する社会現象ともなるほど人気を博した安室奈美恵さん。
3人兄弟の末っ子として生まれ、母親は、ハーフなので、安室さんはクォーターになります。
生い立ちは、安室さんが4歳の時に両親が離婚。安室さんの母は、3人の子供を育てるために、子供たちを学校に送りだしした後、務めに出て、学校から帰ると夕飯を作り、夜9時から再び水商売の仕事に行き、家族を養いました。睡眠時間も少なく、毎日ハードなスケジュールに病気を患ったこともあったそうです。そんな母の姿を見て、安室さんは、欲しいものもおねだりしない子に育っており、その習慣は、大スターになってからも変わらなかったというエピソードがあります。
さて、小学5年生の時、友達に「沖縄アクターズスクール」に誘われますが、1万円の受講料が払えず、諦めていたところ、なんと校長に見出され、特待生として授業料が異例の免除。しかし、バス代もなかったため、2時間かけて通っていたという。
その後、上京した安室さんは、95年に小室哲哉がプロデュースすると、ヒット曲を次々飛ばし、トップスターに。
97年にSAMさんと結婚し、98年に出産します。そんな中、悲しい事件が発生します。母親が再婚相手の弟に、車で轢かれたあと、ナタで殴られ、殺害されました。この凶悪な犯罪の被害者が、安室奈美恵さんの実母で、世間が驚いた事件でした。安室奈美恵実母殺害事件
怒涛の人生を歩んできた安室さん、息子さんも現在22歳、これから社会に出る息子さんを見守る素敵なお母さんでしょうね。
ザリガニを食べていた
出典ブレス
幼少期は貧乏で、ザリガニや草を食べてしのいだそう。近所で野生のザリガニを釣ってきて、鍋で茹で醤油をつけて食べていた。甘エビみたいでおやつのようですが、食事にしていたと雑誌で、極貧生活を、NHKの番組でカミングアウトしていました。
父親はギャンブル好きで、麻雀に20万円をかけてきてしまうほどで、いつも借金取りが家に押しかけてきたそうです。
母親は、ハンバーガー店や、花やさんで働き、山芋の花なので作ったリースを、警察の目を盗んで路上で販売するなどし、家族を養っていました。そんな母のことを、母が布団で寝たことがないほど働いていたと語っています。
しかし、父親は、身を粉にして働いた母を殴って、財布の中からお金をもぎ取っていき、子供だった麻生さんは、両親の間に立って「お母さんを殴らないでよ!」と子供ながらにかばったそうです。こんな、DV夫の昭和のドラマのような話に涙が出ますが、現実に麻生さんが経験されていたなんて、さぞかし辛かった子供時代だったと思います。その後、両親は離婚しますが、それでも、生活が苦しかったため、学校には毎日同じ服でいじめにあっていたそうです。
麻生さんの転機は、1995年に「全国女子高生制服コレクション」に応募し、グランプリを受賞。当時の事務所のマネージャーが麻生さんを売り込み、マネージャーが独立したため、麻生さんも移籍、日本アカデミー賞最優秀助演女優賞や多くの映画賞、人気ドラマの主演するなど、コミカルな演技でも人気の女優さんです。
私生活では、スタイリストの伊賀大輔さんと2007年に結婚し、2012年い長男、2016年んい長女を出産した2児の母。「布団で寝た音がない」という働き者の実母の背中を見ながら育った麻生さん。きっと立派なお母さんになられていることでしょうね。
容姿端麗のモデルのマギーさん。ハーフモデルといえは、マリエさんなどセレブのイメージが強いハーフモデル。ティーンの憧れの存在なのに、貧乏生活をしていたのには驚きですね。
マギーさんの父親はスコット系カナダ人、母が日本人のハーフです。しかし、2歳で両親が離婚、父に引き取られ、5歳までカナダで過ごし、その後9歳まで京都、横浜へ転々とします。
父は声優のイアン・ギブさんで、イーオンやベネッセのナレーションの仕事をしています。しかし、子供の頃は収入が不安定だったため、食事のメインはもやし、夏もエアコンがなく、冬もストーブがもなかったそう。マギーさんには、一つ年下の弟さんが‘いるようですが、母親がいなかったため、マギーさんがお母さん代わりをしていたそうで、年が一つしか変わらないのに偉いお姉さんですね。
そして、転機は高校生の時、道でスカウトされ、雑誌「Vivi」のモデルに、ガールズコレクションなどティーンから支持を受け、今は、テレビでも人気のタレントとなりました。
これまで紹介した、他の芸能人の貧困ストーリーからは、やや裕福に感じてしまいますが、あの華やかでハーフのモデルさんが、貧困だったとは、とギャップが大きく驚きでした。
他にも、大河ドラマでも活躍していた菅野美穂さんや、ブランドのイメージが高い釈由美子さん、
小西真奈美さんも子供時代は1万円の家賃のところに住んでいたなど、そんなドラマで主演を務める女優さんでも貧困生活をしていたんですね。
そんな過去を背負いなら頑張り抜き、女優として成功、裕福になった現在もその経験や価値観は生かされていることでしょう。