芸能界で活躍しながら悲劇に見舞われた有名人 壮絶な悲しい出来事とは

華やかな芸能界で活躍し、幸せそうなあの俳優が、まさかこんな悲しい不幸が訪れるとは。

生い立ちが壮絶だった芸能人もたくさんいます。

  ・壮絶な過去、生い立ち悲しすぎる過去のある芸能人たち

 

しかし、芸能界に入ってからは華やかな舞台で活躍しているはずが、突然の悲劇や苦労を背負った有名人も。

そんな、順風満帆な彼らに襲ったあの出来事とは

 

風見しんごさん

欽ちゃんファミリーで人気アイドルとなり、その後俳優としても活躍している風見しんごさん。1994年に元女優荒井晶子さん(本名:大下尚子さん)と結婚し、長女、次女に恵まれました。しかしあまりに突然に、幸せの家族にこんなひどい悲劇を与えるなんて、

2007年、長女のえみるちゃん当時10歳が、いつもと同じように元気に朝学校へ出かけ、家から100メートル先の青信号を渡り掛けた時、信号を無視したトラックに跳ねられる事故が起きてしまします。その事故のその騒ぎで自宅にいた風見さんも奥様も現場に駆けつけると、えみるちゃんはトラックの下敷きになっている想像を絶する状況でした。

すぐに救出され救急車で病院へ運ばれ、止まっていた心臓が一度動いてくれたのですが、残念ながら助かることができませんでした。こんな悲しい事があってもいいのかと思うほど、本当にご家族のことを思うと何年たっても辛くとても悲しい事故でした。しかもその道路はスクールゾーンの進入禁止になっていたにもにもからわず、進入してきた配送トラックでした。

家族を奪った地獄のような悲しみと深い苦しみが続いたそうですが、時間が経つにつれて悲しみが消えることはなく、それでも子供が犠牲になる理不尽な事故を少しでも減らしたいという思いから、交通事故や命の大切さについてを講演で語ったり、交通関連のイベントなど、風見さんは交通安全啓発活動を行っています。だからと言って家族を失った悲しみは無くなるわけでななく、今でも寝る時、現場に駆け付けた時の光景が目に焼き付いて現れ悲しみに苦しんでいるそうです。そんな中、2014年に風見さんがレギュラーを務める番組「ノンストップ」で、風見さんの出演する日に、非情にも「家族の死を乗り越えられないという遺族」というテーマを番組で取り上げており、放送後、この番組の対応に対して批判が殺到。

「あまりにも無神経すぎる。」「どうしてあえて風間さんの曜日にこのテーマを取り上げたのか。」など、

番組側は、風見さんの意見を聞きたかったのか、それともスタッフは気づいてなかったのか、風見さんが乗り越えたと思っていたのだろうか。

番組進行中、風見さんは黙ったまま、一言も話さなかったそうです。視聴者からは、番組への批判とともに風見さんを気使い心配する声が溢れていました。

今でもノンストップのコメンテーターのレギュラーを務める風見さんですが、2020年では、道交法違反(酒気帯び運転)の現行犯で逮捕されたTOKIOの元メンバー山口達也容疑者に対して、

「重大な事故が起きてしまったら被害者はもちろん、加害者も含む、その周りに携わっているたくさんの人たちの人生がその瞬間から想像できないくらい変わってしまいます」「それを分かってもらいたい」と山口容疑者に呼び掛けました。

さらに加えて、「重大な結果の事故が起きた時は、依存症だったから、では済まされない。それは被害者や加害者だって周りの家族に対しても何のいい訳にもならない。それをやっぱり分かってもらいたい」と繰り返し訴えていました。

 

 

清水省吾さん

1970年代から数々のヒットドラマに出演していた清水章吾さん。そして2002年にアイフルのCMで大ブレイクし売れっ子タレントに。

1980年に、ドイツ人の父、母が日本人とのハーフである元モデルのハルマンさんと結婚。

お互い再婚同士で、ハルマンさんには子供であった絹子さん(1974年生まれ)を清水さんの養子としました。

1980年8月には、二人の間にも娘・響美さんが誕生。そして、1986年に長男光晴さんが誕生しています。響美さんは、帝人キャンペンガールに選ばれ、モデル・女優となり芸能界に。

アイフルのCMで引っ張りだこになった清水さんは、個人事務所を立ち上げ独立し、妻がその事務所の社長となります。

 

それからは、夫婦でバラエティ番組に出演することも度々あり、「芸能界最強の鬼嫁」として紹介されていました。その恐妻ぶりは、

  • 小遣いは0円
  • 朝ごはんは犬用ビスケット
  • 昼食は一品のみ

など、の鬼嫁ぶりが紹介されていました。

そして、埼玉県本庄市に330坪の大豪邸を建てた清水さん。

出典tvkeywordnet

 

しかし、約40年も連れ添った夫婦でしたが、2019年にハルマンさんと離婚

そして、

ハルマンさんと娘・絹子さんが、なんと清水さんから「40年間にわたる暴力があった」と2019年12月25日発売の週刊新潮が報じました。

 

「私以外の家族はテーブルでご飯を食べているのに、私は床でゴミを食べさせられていました。髪の毛も根元から切られてしまい、髪型は常に男のように短くボロボロでした」

 絹子さんの額には今も、清水から学習机の引き出しで殴られた際の傷跡が残る。中学3年生の時は、自殺未遂も起こしたという。

 絹子さんのみならず、妻のハルマンさんも清水のターゲットだった。2019年11月8日に離婚が成立したものの、現在も清水は家から出ていかないため、母娘は部屋に鍵をかけて震えながら暮らしているという。     参考デイリー新潮

ハルマンさんもかつての鬼キャラは、清水さんによって作られたもので、世間から敵視されとても辛かったということです。

 

この泥沼DV離婚劇を受け、清水さんはショックのあまり、睡眠導入剤を40錠飲み自殺を図ります。家族に発見され病院へ搬送、3日目に意識が回復します。

命を取り留めた清水さんは、その原因ともなった記事への反論をします。

「DVは、いっさいやっていません。『残飯の上にタバスコをかけて絹子に与えた』とか、『絹子のテストや絵を破いた』とか、でたらめもいいところです。むしろ、実子たち(1男1女)のほうに、厳しくしていたぐらいです」

その他にも想像できないほど仕打ちを受けていたと明かしました。

 

「去年の11月、家族で暮らしていた埼玉県本庄市の自宅の『生前贈与』を、妻から突然求められたんです。

所有権の2分の1は元からハルマンのものでしたが、言われたとおりに、残りのぶんの私の権利を、子供たちに生前贈与しました。税制上、そのほうが得になるとハルマンに説得されたんです。

 さらに今度は、彼女が離婚届を持って、私の部屋にやってきました。『税務上得になる』とか『住宅ローンの関係で』とかいろいろ言われたのですが、とにかく私のためだと。

『嫌いで別れるわけじゃないから、あなたは家にいていいのよ』とも言うので、書類上のことならと思って署名しました。

 ところが、離婚が成立するなり彼女は態度を豹変させたのです。私はびっくりして……。

『もう他人なんだから出ていって』と言われ、家にあった私の私物は、入院中に妻の手ですべて運送会社の倉庫のコンテナに移されてしまいました。

 私は家の権利もとられ無一文で、帰る場所も奪われたんです。現在、『本庄市の家に近寄ったら、警察を呼ぶ』と脅されています」参考ヤフーニュース

 

この泥沼離婚劇、ハルマンさんの主張が本当か、それとも清水さんの悲劇が事実なのか、どちらの言い分が正しいのか本人たちでないとわかりません。

しかし、離婚し豪邸を出た清水さんは、仕事もなかったため、お湯のない3万5000円のアパートに住んでいるそうです。しかも豪邸のローンはまだ清水さんに残ってままだそう。

一時は仕事もなく途方にくれたそうですが、現在の清水さんは、前向きな気持ちになり、かつて弟子入りしていた花柳章太郎さんから言われた、

「役者は死ぬまで修行だよ」言葉を振り返り、

どんな役でもやりたいと意欲が出てきたそうです。かつての演技派俳優として再起してもらいたいですね。

 

 

後藤真希さん

元モーニング娘。の後藤真希さん。父、母、姉二人、弟の6人家族として育ちました。

しかし小学5年生の時、最初の不幸がー。

家族や知人と登山に出かけた時、目の前で父が滑落し亡くなる悲劇が訪れました。その悲しみを家族とともに乗り越え、後藤真希さんは、1999年14歳の時に3期「モーニング娘。」となり、トップアイドルとして活躍します。

家族思いで知られる後藤さんは16歳の時、「3階建の家」を建て母にプレゼント。父が亡くなったと女手一つで育てた母をサポートしていました。

弟もユウキさんも、歌手としてつんくさんの元でデビューを果たしていましたが、2002年にキャバクラで飲酒していたことが報道され、つんくさんが波紋。ユウキさんは事実上、芸能界を引退しました。2005年に結婚し3児をもうけたユウキさんですが2007年に離婚。同年には建設現場の導線を組織的に盗んでいたとして、逮捕、懲役5年6か月の実刑が下されています。

弟のスキャンダルの後、母から継いで姉夫婦が経営してた居酒屋が、2009年に経営困難で廃業

翌年、後藤さんが24歳のとき、また悲しい事故が起きてしまいます。苦労して子供4人を育てた母が自宅の地上10メートルの3階の窓から転落し帰らぬ人となってしましました。後藤さんもこのとき近くにおり、物音がして窓から見ると転落した母を発見したのだそうです。警察では弟の部屋から飛び降りた自殺だった可能性が高いと判断したようです。この時、家にいたのが後藤さんだけだったそうで、後藤さんは助けられたなかった自分をとても責めたと語っていました。母の自殺の原因は明らかではありませんが、弟の逮捕、店の閉店など心労が重なっていたようです。遺族には心の傷が残り続けしまうものですよね。

後藤さんは、2014年に一般男性と結婚し2児の母となりました。2019年には後藤さんの不倫騒動もありましたが、現在は家庭もうまくいっているようで、Youtubeも開設し現在フォロワーが24.2万人。ユーチューバーとしての活路も見つけたようです。

 

 

淡路恵子さん

1948年に松竹歌劇団の4期生として入学。すると翌年、黒沢明監督に見出され映画界へ。1953年にフィリピン人歌手のビンボー・ダナオさんと事実婚。ただ、ダナオ氏はフィリピンに妻と娘がおりカトリックのため離婚が出来ず、籍入れずに、長男・島英津夫さんと次男を出産し二児の母に。しかし1965年に破局。1966年には、中村(萬屋)錦之介さんと再婚し女優を引退、三男、四男を出産します。

萬屋錦之介さんは名俳優ではありましたが、個人事務所が13億円の負債を抱え倒産。

そして今度は、錦之介さんが重症筋無力症を患い、淡路さんは夫を献身的に看病します。

かつては主演トップ女優だった淡路さんでしたが、生活費のために、六本木のクラブで働くこともありました。

しかし、そんな全身全霊、献身的に支えた夫が、まさか淡路さんの友人でもあった元宝塚の甲にしきさんと不倫しているのが発覚、1987年に離婚します。

そんなボロボロの精神状態の中、悲劇が訪れます。

1990年に三男が、バイク事故で帰らぬ人に。

そして、1997年に、離婚した後も好きだった最愛の萬屋錦之介さんが天国へ。

2004年に今度は四男が、淡路さんの自宅に侵入し、金品など物色中に通報で駆けつけた警察官に逮捕されました。淡路さんは、息子の素行不良を心配し、まともな人間に立ち直らせるため、あえて告訴し懲役6カ月の実刑に、他にも別件の窃盗罪があったため2年の懲役になりました。

服役を終え、まともに更生された四男かと思いましたが、2010年に自宅マンションで自殺を図り、四男は亡くなってしまします。

長年にわたり壮絶な人生を歩んでききた淡路恵子さん。その後は、サバサバした性格ということもありご意見番としてバラエティ番組にも出演。実は大のドラゴンクエストが大好きでゲーマーとしても知られていました。喫煙をこよなく愛し「タバコは私の6本目の指」と公言するほど。17歳のときから吸い始め、1日に3箱も吸うヘビースモーカー。淡路さんは、他の愛煙家と、「肺がんになれば納得。他の癌だったら許せない」と冗談で話していたそうですが、淡路さんは喫煙と因果関係が深い食道がんで、2014年、80歳の生涯に幕を下ろしました。

 

 

加護亜依さん 1988年2月7日生まれ

加護亜依さんは、母親が17歳のとき奈良県で生まれ、その後、父親が事件を起こし逮捕、2歳のとき両親は離婚してしまいます。10歳のとき、母親は再婚して3人の子供が生まれます。

2000年、3回目追加オーディションで合格し「モーニング娘。」のメンバーとなった加護亜依さん。当時まだ12歳だった加護さんに教育係として面倒を見たのは、後藤真希さんだったそうです。

当時、母の再婚相手に、とても可愛がられた加護さんだそうです。しかし、その継父が経営していた運送会社が負債を抱え倒産

その時、加護さんはデビューから2年目で年収4000万円ほどあったそうですが、負債の返済や生活費は加護さんが担うことに。しかも継父は、当時14歳の加護さんの収入に頼り、加護さんの銀行口座からもお金を勝手に引き出し、両親は働かなかったそうです。

そして、加護さんの弟の一人が発達障害ということもあり、加護さんが、大黒柱となって収入のほとんどを家族を養うために使っていたそうですが、自宅は差し押さえれたしまったそうです。

トップアイドルグループの一員として活躍していた加護さんも、2004年に「モーニング娘。」を卒業。

そして、2006年2月、当時18歳だった加護さんが、都内のレストランで喫煙していた写真が報道され、謹慎処分になります。

するとさらに翌年、渋谷区にあるカフェのオーナーと温泉旅行に行っていた時の喫煙写真が掲載され、所属事務所にも契約解除され、事実上芸能界から遠ざかることに。

2008年に芸能界復帰するも、2009年に不倫騒動を起こしてしまいます。加護さんは不倫報道を全面否定しますが、その相手の妻から慰謝料を請求され裁判に。加護さんは裁判に出廷しなかったため、熊本地方裁判所から元妻へ慰謝料として200万円の支払い命令を受けます。

2011年9月、東京港区六本木で同棲中だった飲食会社社長の男性が、暴力団関係者と親密だと持ち出し知人を脅したとして、恐喝未遂で逮捕。加護さんも警視庁(マル暴)から参考人聴取されていたことが発覚しました。

すると加護さんは心身が不安定になり、大量の精神安定剤を摂取し、手首を切って自殺を図り、倒れているところを発見され、病院に搬送、命に別状はありませんでした。

その3ヶ月後、その飲食店社長の男性と結婚、妊娠していることも同時に発表し、2012年に女児が誕生。

2013年には芸能界に復帰し意欲を見せますが、なんと、加護亜依という名前は本名にもかかわらず、前事務所が商標登録しているため、もし使用するなら使用料を請求するという事態に。商標登録していた時は、加護さんの本名は旧姓の池田となっており、加護は父方の姓。前事務所を辞めた際に、本名を生まれた時の加護に戻したそうです。

結局、3年間その商標登録の名前を使わなければ、取消請求できるそうで、加護さんの場合、芸能活動を休止していた状態でもあったので、前寺務所の商標取消可能。しかも本名なので名乗ることは当然問題ないとのことのようです。(参考yahoonews)

名前の使用料をめぐり裁判になるなど、本当に気苦労が絶えないですよね。

2015年5月、今度は加護さんに暴力を行ったとして夫が逮捕されます。加護さんが通報していたそうですが、翌月離婚が成立したとブログで報告。

2016年に美容関係会社社長と再婚を発表。2017年に第二子の男児を出産。幸せな家族との日々をブログで綴っています。

出典 加護さんのアメブロ

2020年にはYoutube「カゴチャンネル」も開設し、現在フォロワーは4,78万人。

これからも2児のママとして元気な加護さんに注目したいですね。

 

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