今の時代にもこんなことが行なわれているのか。パク・ヨンミさんが、で、涙を流しながら世界にに訴えかけたスピーチが注目されています。
動画は、2014年、アイルランドのダブリンで開催されたワンヤングワールド2014サミットで、パクさんの壮絶な体験をスピーチ。 トップ画像出典youtube, instagram
涙を声を詰まらせながら、その現実の事とは思えない残虐な体験を口にしました。
北朝鮮は想像を絶する国
北朝鮮は、国際電話を使うと処刑される国。
人々は歌い、話したいことを話し、考える自由もありません。いつも恐怖にさらされています。
恋愛の歌や本、ましては動画もありません。
今、この瞬間でも自由を求めながら死んでいく人がいます。
9歳のとき友人母の公開処刑
北朝鮮では、餓えで何人の人が目の前で死んでいき、見覚えのない罪や非人道的な罰を受け目の前で処刑されることも。政治的な意見を述べると3世代の家族まで投獄、または処刑されます。
パクさんが9歳の時、友人の母が処刑されるの見たそうです。それは、たったハリウッド映画のビデオを観ただけで、公開処刑されたのでした。
パクさんは、1993年に北朝鮮の恵山で生まれ、父親は、家族を食べさせるため米や砂糖などを闇で商売し、生計を立てていたものの、闇売買が見つかり労働強化所に送られました。稼ぐ手立ても無くなった一家は極寒と飢えに苦しみ、飢餓で多くの人が死亡する状況を見ていたパクさん一家は、2007年パクさんが13歳の時に、脱北をして中国に渡ることを決意します。
中国では、脱北を手配するブローカーがおり、バクさん一家もそのブローカーを頼りに脱北に踏み切りました。しかし、中国へ着くと奴隷のような生活。そして、中国のブローカーが、パクさんを中国人の嫁として売買しようとし母がそれを阻止すると、13歳のバクさんの目の前でレイプされ娘を守ったそうです。10代の女性はたった200ドルのために売買されていく信じられない世界。
ブローカーに背こうとすると、「北に送り返してやる」と脅され、中国では、毎日、北朝鮮の警察の捜索に怯えながら、外に出ることもなく酷い暮らしだったそうです。
そして、14歳の時、父はガンを患うも病院に行くことさえもできず他界。亡くなった父を見つからないよう夜中に自分たちで埋葬したそうです。
中国のこの残酷な生活から逃れるために、モンゴルへ、コンパス一つでコビ砂漠を渡ったそうです。コンパスがなければ星を頼りに歩き、ひたすら歩いたそうです。
もし見つかった時には、北へ送られ死ぬのなら、自死する覚悟。人として尊厳死を選ぶと。
パクさんの北朝鮮の人権改善を訴えるスピーチは、欧米メディアに取り上げられました。
パク・ヨンミさん(朴妍美) 1993年10月4日生まれ 現在27歳
パクさんはその後、2015年伝記『生きるための選択 ―少女は13歳のとき、脱北することを決意して川を渡った』を出版。世界15カ国で翻訳され日本でも刊行されています。
韓国・ソウルに渡っていたパクさんは、2014年にニューヨークに移り、2016年にコロンビア大学に入学。人権問題の実態などを伝える人権活動家として活動しています。
2017年に結婚し男の子を出産されたそうです。
優しそうなご主人と可愛い息子さん、全てが戻るわけではありませんが今は普通の27歳の女性として生活を送っています。そして人権活動家として活躍し、ナスダックには広告も
北朝鮮では、
農村部の子供達は経済生産のため働かせられ、飢餓で人口の41%が栄養不足、28%の子供が発育不足に陥っている。配給は行き届かず、闇マーケットで手に入れるしかありません。多くの国民は痩せ、食べ物を求め、時には虫や木、土などを食べて生活しているという証言もあります。もちろん映画や娯楽は規制され、インターネットも限られた場所で限定されているネットワーク。
パクさんが言ったように、生まれた国によってこれほど差別があるとは現代の世界で全く現実の話とは思えないほど。
近年では、トランプ米大統領が2018年1月30日に行った一般教書演説にゲストとして招待された脱北者の「チ・ソンホさんの訴え」が報道され注目を集めたが、目立った前進はありません。
パク・ヨンミさん 出典instagram