シンガーソングライターの岡村孝子さんが、今月26日(2021年11月)「徹子の部屋」に出演し、2019年に患った急性白血病を振り返り語りました。 出典twitter
芸能界やスポーツ界でも、白血病を患い復帰をされた方は多くいます。それでも突然襲ってくるこの病。それはどんな兆候だったのか、そのときの年齢は?
その症状や闘病、克服し復帰された有名人たちがその闘病を語っています。
健康だと思っていた岡村さんですが、異変に気づいたのは、2019年4月岡本さんが57歳の時、突然脚が上がらず、リハーサルで20曲歌わなきゃいけないのに、3曲しか歌えない。疲れからかと思い血液検査を受けると、白血球が少ないことがわかります。すぐに再検査となり、医師から白血病と告られました。シングルマザーでもある岡村さんは、大学生の長女のことを思うと、告知された時は頭が真っ白になったと語っています。
辛い治療法を聞き断念しようとも考えると、長女から「私のために治療して」と背中をおされ、「娘を残して死ねない」と壮絶な治療も乗り越えたそうです。またステージに立つために、治療の他に臍帯血移植も受け、5ヶ月の無菌室の生活。闘病を乗り越え、翌年には、「ノンストップ」でカメラの前に姿をみせ、インスタグラムにも歌を披露できるまでに。2021年7月には「THE MUSIC DAY」に出演しステージ復帰、アルバムも発表しています。
岡村孝子(おかむらたかこ)
1962年1月29日(現在59歳)
シンガーソングライター、あみんのメンバー
「めざましテレビ」の司会、朝の顔として知られている大塚範一さん。長年勤めていた番組を降りて治療に専念していました。異変に気づいたのは、2011年11月大塚さんが63歳のとき、体調不良が続き診察をすると、「急性リンパ性白血病」と診断され、すぐに治療を開始。2012年2月には体調が悪く無菌室にいたため、最愛の母を看取ることも葬儀へ行くこともできなかったと、著書『耐えて、咲く』に語っています。かなり厳しい状況が続いたそうですが、2012年10月に寛解と診断され退院。10月にはめざましテレビに出演、2013年2月にも生出演を果たし、「アゲるテレビ」では司会を勤めるまでに回復。しかし、2013年に再発が確認され、9月に臍帯血移植。2014年には「ワンダフルライフ」にゲスト出演するなど復活、大塚さんは独身で子供もおらず、現在は、姪っ子さんが面倒をみられているようで、復帰の意欲も見せながらご自宅で静かにすごしているようです。
大塚範一(おおつかのりかず)
生年月日: 1948年9月28日(現在73歳)
元NHKアナウンサー、めざましテレビ司会など
2000年、奄美大島でグラビア撮影のロケ中、突然40度を超える高熱を出し病院へ。帰京後に検査を受けると急性骨髄性白血病とわかり即入院。しかし、本人には白血病であることを知らせなかったそうです。3ヶ月の入院となり、髪も抜けると聞いた吉井さんは、CMや他の仕事もキャンセルとなり、事務所にも迷惑をかけてきっとクビになるだろうと、落ち込んでいたそうですが、事務所の専務から「今は治療することだけ考えろ。待っているから」と励まされたことが、厳しい治療に立ち向かい頑張れたそうです。
その後、本人に本当の病名が知らされ、抗がん剤投与のあと、今後の治療として、寛解維持療法と骨髄移移植の2つの方法があると医師から告げられます。芸能界復帰を目指していた吉井さんは、寛解維持療法を選択。しかし、その後も芸能界復帰まで至らず、兄からの「生きていなかったら仕事もできない」という言葉に、骨髄移植を決意。母から提供を受け、移植後の10日間の記憶の無くしているそうです。吉井さんが闘病を綴った「神さま何するの・・白血病と戦ったアイドルの手記」はベストセラーとなりドラマにもなりました。その後2004年には映画出演、ドラマにも復帰し、2021年には定期検診で、白血病を卒業したと発表。22016年には俳優の山崎樹範さんと結婚。2021年の今年はドラマ「相棒」に出演するなど活躍されています。
吉井 怜(よしい れい)
1982年3月18日 (39歳)
女優
大河ドラマで主演を務め高視聴率を取るなど順調にトップ俳優の道を歩んでいた矢先、1989年映画「天と地と」の主演に抜擢されカルガリーに海外ロケ中、体調不良に。病院に運ばれると、急性骨髄性白血病と診断されたそうです。「天と地と」は無念の途中降板となり治療に専念することに。しかし完治50%の厳しい状況だったそうです。1年に及ぶ治療に挑み仕事に復帰するも、1994年に再発。しかもこの時に輸血が原因でC型肝炎にも感染しててしまったそうです。再治療に挑み復帰した渡辺さん。その後は、2003年にアメリカ映画「ラストサムライ」で海外進出を果たし、ハリウッドスターとして活躍し、ブロードウェイ「王様と私」にも主演されています。2016年には人間ドックで胃がんが早期発見され手術を受け、再び復活を遂げています。
渡辺謙(わたなべけん)
1959年10月21日 (現在 62歳)
俳優
2000年オリックスに入団し、投手として活躍していた岩下さんですが、入団2年目の2001年7月、シーズン真っ只中に、原因不明の高熱に襲われ、病院で検査を受けると、白血病と診断されたそうです。パニックに陥ることがなかったのは、医師の説明が、「命に別条はないこと」「4ヶ月の抗がん剤で復帰できる」と名言され、前向きに治療ができたそうです。そして、2002年の開幕戦には見事復帰を遂げました。入院中は筋肉が衰えないように鉄アレーを持参して挑み、早く直したい一心で標準より強めの抗がん剤を投与し、副作用に弱気になりそうになったそうです。長女が誕生したばかりで奥様や家族を守りたいと思い出、8ヶ月という奇跡の復帰でした。
岩下修一(いわしたしゅういち)
生年月日: 1973年6月2日(現在48歳)
元プロ野球選手
筑波大学でも主将として活躍し、2016年2月アルビレックス新潟に所属、先発デビューを果たした早川選手は、4月のJ1第8節名古屋線の試合後、リンパ節の腫れを感じ病院へ、検査の結果は急性白血病と診断されました。すぐに治療に専念。早川さんはプロサッカーの夢を諦めなければいけないか、選手登録の解消をするべきか悩んでいたところ12「もう一度サッカー選手の姿をみたい」との一言でサッカーを続けていこうと意欲が沸いたそうです。しかし、所属チームは契約してくれるか、契約終了も覚悟しなければならないと覚悟もしていたそうです。そんな中所属チームの神田部長が面会に訪れ、言ったくれた言葉が、
「史哉がどう思っているかわからないけど、史哉に現役を続ける意志があるのであれば、クラブとしては復帰まで、しっかりとサポートしたいと思っている」この神田部長の言葉に、嬉しくて涙が溢れたそうです。そして治療の末2017年7月に退院し、2018年にチームの練習に参加、10月には試合に出場するまでに回復しました。
闘病生活を綴った著書『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』が出版され、2021年4月にはマンガ化、講談社のマンガアプリに掲載されています。
出典『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』著者/伊禮ゆきとし 原作/早川史哉
早川史哉(はやかわふみや)
1994年1月12日 (年齢 27歳)
元Jサッカー選手
箱根駅伝で駒澤大学を連覇に貢献した糟谷選手ですが、卒業後はトヨタ紡織の主力選手としても活躍。しかし2013年6月、練習していて体がおかしい、感覚がおかしいと気づいたそうです。普段の生活だと気づかないレベルで、風邪をひいて練習しているような感覚だったそうで、コンディションを常に意識している糟谷さんはこの異変にもしかしたら大病かもと病院へ。ところが、検査では何もわからず、別の病院に。すると、その病院で「悪性リンパ腫」余命に関わる病気と告げられたそうです。突然の告知で1人病室で不安がいっぱいで怖かったそうですが、「生きること」「試合に再び出ること」を目標に治療に挑み、そんな矢先その目標でもある、世界陸上の放送を病室からみていたとき。そこには、
ジャマイカのノブレーン・ウィリアムズ・ミルズ選手が癌を乗り越え、世界陸上の舞台にカムバックしており、その姿に勇気をもらったそうです。病気から世界最高レベルまで帰ったきた人がいる。希望が沸いたと語っています。
そして、糟谷選手は2016年元旦のニューイヤー駅伝に復帰しています。
糟谷悟(かすやさとる)
1983年7月8日 (年齢 38歳)
陸上競技選手(長距離走)
1999年にK1でデビューを果たしK-1 JAPAN GP ’99で準優勝。格闘界の深い悲しいをあたえたアンディ・フグ選手が白血病で他界するその約1ヶ月前にノブさんはフグ選手と対戦しています。2008年から風邪っぽい症状が続き、耳鼻科へいくと喉の治療薬を処方されたそうです。それでも症状は悪化。試合も控えていたため、心配になり大学病院へ行くと2009年1月急性骨髄性白血病を患っていると判明し緊急入院されました。そのとき、いしからは、治ったら試合にでれますか?と質問すると「できます!」と言われホッとされたそうです。抗がん剤治療を5回行い、同年11月には試合に復帰。しかし、体は元気なん鬼定期検診で再発が認められ骨髄移植へ。2013年11月にはリングに再び戻りました。そしてノブさんはたまたまいた蒲田駅のホームで、足元をふらつかせた男性がホームから線路に転落するのを目撃し、すぐさま自分も飛び降り救助。自らの命も危険に晒されることよりも先に無意識に体が動き人の命を救っていたそうです。2014年からステージに立ち、白血病発症から12年。試合以外にも骨髄チャリティのイベントなど活動にも尽力されています。
ノブ・ハヤシ
1978年4月27日 (年齢 43歳)
政治評論家としてテレビでお馴染みの浅野さんですが、ジョキング愛好家でフルマラソンにも出場した経験もあるほど。しかし2005年、たまたま献血をした際に、白血病を引き起こすウィルス(ATL)に感染していたことがわかったそうです。実は浅野さんの母も同じくATL感染していた過去があり、母子感染が考えたれたそうです。すぐに大学病院に入院し、化学療法、骨髄移植を受け退院。その後は、都知事選に出馬したり、大学教授を勤めるなど、活躍されています。
浅野史郎(あさのしろう)
1948年2月8日(現在73歳)
政治評論家 元宮城県知事、元官僚、慶應義塾大学元教授
2019年2月オーストラリアでのが祝中に体調不良のため帰国し、検査を受け、急性リンパ性白血病であることを公表した池江選手。アスリート界や芸能界だけでなく多くの人から池江選手に応援の声がよせられました。10ヶ月に及ぶ入院生活と骨髄移植を終え、同年12月に退院。移植をうけなくても筋力定価や抵抗力が落ち、普通の生活だけでも体力が低下してしまいますが、池江選手はそれを大きく上回り、アスリートのトップレベルまで戻し、2021年のオリンピック代表に内定。そして見事東京オリンピックでカムバックを果たし。世界に多くの感動と希望を与えてくれました。
池江璃花子(いけえりかこ)
2000年7月4日 (現在 21歳)