絶世の美女、そして、30年代からハリウッドで人気のトップスターでもあったヘディ・ラマー。
その美貌の裏には、野心溢れる別の彼女がいました。
ヘディこそ、元祖・理系女子ではなかろうか、それどころか、革命的な天才発明家でもあります。
彼女は、今では誰もが使っている、あのなくてはならない、WifiやGPSの技術を発明した大女優なんです。
ヘディ・ラマーとは?
名前 ヘディ・ラマー Hedy Lamarr
職業 アメリカの女優、発明家
生年月日 1914年11月9日
没年月日 2000年1月19日(85歳没)
出身 オーストリア生まれ
父親 ユダヤ人の家に生まれ、成功した銀行監督
母親 ピアニスト
結婚 6回
子供 長男、長女
女優業をしていても、彼女の背面ある知的さが、時には破天荒な行動に出てしまうことも。当時の映画業界において、最も面白い女優でもありました。そんな彼女の足跡を追ってみます。
映画至上の初めてのオーガズム
映画界では、ヘディは最初、脚本家として雇われます。
美貌を持ったヘディは、次々ポジションに就き、1933年18歳で、グスタフ・マカティの映画「春の調べ(エクスタシー)」で、主役を得ることになります。
この映画は、ヘディが全裸で泳ぐシーンがあり、当時は議論を巻き起こし、話題の映画となりました。
初めて肉体関係を描いた作品で、俳優の顔以外は写っていません。映画至上、初の女性のオーガズムを描いた作品でもあり、これで瞬く間に、ヘディは有名トップ女優に登りでます。
人気絶頂の18歳で結婚
時の人となったヘディに、夢中となったのは、軍人で、オーストリアで3番目に裕福な人物であり、軍需品メーカー武器商人であるフリードリッヒ・マンデル(Friedrich Mandl)。
彼は、金にものを言わせ彼女の操り、映画「春の調べ」が上映された年の1933年、ヘディ(18歳)とマンデル(33歳)は結婚することになります。
マンデルは、イタリア政府と密接な関係を築いて、国に軍需品を販売していました。また、ユダヤ出身でありながら、ヒットラーやムッソリーニを自宅のパーティなどに招き、親密な関係を築こうとしていました。
そんなマンデルはとても嫉妬深く、仕事で人と会う時は、いつもヘディを連れ、またヘディを一人では外出させず、言わば「かごの中の鳥」状態でした。ヘディは、そんな状況を、「城の中の仮想囚人」だったと語っています。
そんな結婚にヘディは耐えられず、ある計画を試みます。
映画さながらの逃走劇、そして再び
ヘディは、マンデルから逃れるため、メイドを雇います。
ある日メイドに寝ているところ(自伝では、睡眠薬を使ったとしているが定かではない)、メイドの服と自分の服をすり替えて、メイド姿に変装し逃走し、パリに渡ります。
世界で最も美しい女性
パリで、映画プロデューサーのルイス・メイヤーと出会い、この時に名前を「ヘディ・ラマー」に改名し、ハリウッドに渡ります。1938年メイヤーは「世界で最も美しい女性」としてヘディを売り出し、ハリウッドデビューを果たします。数多くの作品に出演し、1958年「フィーメイル・アニマル」を最後に44歳で映画界を去ります。
本能のままに、次々と発明
ヘディ自身、発明に関しては正式に学んだわけではなく、ほとんど独学であった。
しかし発明に関しては野心が強く、水を得た魚のように、様々な発明にのめり込んで行きました。
水に溶かすと炭酸飲料になる錠剤を発明するなど、時には失敗を繰り返しながらも、
ある時、海軍戦争の新技術であった魚雷の無線誘導システムが、通信妨害を受けるのを聞き、彼女は、あるアイデアを思いつきます。
これが、のちに革命を起こすほどの大発明となるのです。
ヘディは、海軍で使用していた技術「ラジオコントロール魚雷」が、簡単に妨害を受けコースから外れることを知り、妨害されない方法「周波数ホッピング信号を生成する」ことを考えました。
まず、友人である、作曲家のジョージ・アンタイルと共同で、彼女の案を具体化していきました。
彼らは、1942年「周波数ホッピングシステム」を起草し、特許を取得。しかし、当初は、実現化が技術的に困難で、米海軍に受け入れてもらえませんでした。
ところが、その後20年の時を超えた1962年、キューバミサイル危機の時代、海軍の船に搭載されることになったのです。
起用されたヘディの周波数ホッピングシステムのが発明が、のちに現在世界中の何十億の人々が使用している、WifiやGPS、Bluetoothなど多くの通信プロトコル技術ののきっかけとなったのです。
何十億ドルの対価は、手にできず
実は今日まで、米軍は「周波数ホッピングシステム」の特許と技術を公に認め、何十億ドルの価値のある技術を発明したにもかかわらず、ヘディは、産業からは財産も利益を得ていなかったようです。
革新的な、才能持っていても、女優としての名声が高い彼女は、発明家としては認知を受けられていなかったかもしれません。
彼女の洞察力や先見の目は、はるかに時代の先を行っていたんですね。
しかし、この近年になると、彼女の画期的な大発明は賞賛されていきました。
1997年に、ヘディとアンタイルは、芸術、科学、ビジネスや発明分野における創造的な成果が社会に多く貢献したとされる個人に贈られるをElectronic Frontier Foundation(EFF)のパイオニア賞を受賞しました。
2000年1月に、ヘディは85歳でこの世を去ります。その死後、2014年にヘディは、National Inventors(全米発明家)に殿堂入りを果たしました。
美貌と知的さを兼ね備えたヘディのプライベートは、6人の男性と結婚。
逆を言えば、離婚原因は別として、6回もプロポーズをされた魅力があるのということかもしれません。
ヘディ 6回の結婚歴
1人目 1933年〜1937年 フリードリヒ・マン(兵器製造業者)
2人目 1939年〜1941年 ユージン・ウィルフォード・マーキー(脚本家・プロデューサー)
3人目 1943年〜1947年 ジョン・ローダー(俳優)
4人目 1951年〜1952年 アーンスト・ハインリッヒ・シュタウファー(レストラン経営者)
5人目 1953年〜1960年 W・ハワード・リー(石油業者)
6人目 1963年〜1965年 ルイス・J・ボイス(彼女の離婚弁護士)
子供は3人います。
・ジェームズ・ラマー・マーキー(ローダー)(1939年1月9日生まれ):息子。マーキーと結婚した間に養子にされ、のちローダーに改姓。しかし12歳の時、他の家庭の養子になる。
・デニーズ・ローダー=デルーカ(1945年1月19日生まれ):娘。
・アンソニー・ローダー(1947年2月1日生まれ):息子。
長男のジェームスは、彼が12歳の時に他の家庭に養子に出されました。その後はヘディとは、話すこともなかったそうです。
そしてヘディは遺言で、ジェームスには相続権がないとしました。しかし、ジェームスは、ヘディが亡くなった2000年に相続を主張し争います。
ヘディトリビア
ヘディの独特のこのセンター分けヘア。誰かに似ているかなと思いませんか?
あの大女優ヴィヴィアンリーが、この同じヘアスタイル。
左がヘディ、右がビビアン
出典:screenonline
実は、ビビアンの方が、彼女のヘアを真似たそうです。二人とも美人ですから、どんな髪型でもお似合いです。
ともあれ、もし、1942年ヘディが発明を思いつかなかったら、この便利なネットワークシステムは、遅れていたかもしれない。
およそ80年も前に革新的な発明をし、後世になりその貢献を賞賛されたヘディ。