ミス・インターナショナル日本代表に選ばれた岡田朋峰さん。父親は岡田真澄(故人)さんで、ミス・インターナショナルの司会者を長らく務めていました。岡田真澄さんが、63歳のときに生まれ、溺愛されて育ったようです。しかし、
「娘が20歳になるまで死ねない」と言っていた父真澄さんは、朋峰さんが7歳の時に残念ながら亡くなってしまいました。ミス・インターナショナル日本代表に輝き、朋峰さんは「やっと父親に恩返しができた」と語っています。
ところが、
そんな朋峰さんのことをよく思っていないのが、俳優・ラジオパーソナリティーでもあり、岡田真澄さんの長男、岡田眞善さんだったようなんです。実際のところどうなのか。
まずは、その岡田朋峰さんのプロフィールから見てみます。
父親である岡田真澄さんは、ミス・インターナショナルの司会者を長らく務めました。
そして、叔父には、タレントのEHエリックさん。
従姉妹には、タレントの岡田美里さん
また、祖母はデンマーク人のエドヴァルド・エリクセンで、その妹(伯母に当たる)は、コペンハーゲンにある有名な観光名所「人魚姫の像」のモデルとなったエリーネ・エリクセンである。
伯父がその人魚姫の像の作者でもあり、とても華麗なる一族なんですね。
しかし、
そんな彼女をよく思わないと噂されてしまっているのが、異母兄弟でもある岡田眞善(しんぜん)さんです。眞善さんは岡田真澄さんの長男、俳優・ラジオパーソナリティをしています。
岡田眞善プロフィール
出典画像faisunreve.co.jp
1973年7月16日
職業 俳優・ラジオパーソナリティ
身長 176cm
学歴 玉川大学芸術学部
父岡田真澄 母藤田みどり(女優)
所属事務所 株式会社フェザンレーヴ
FMヨコハマや東京FMでDJを務めたり、ドラマ「おみやさん」に出演するなど芸能界で活躍されています。
岡田家系図と時系列
父の真澄さんは、ガンを患い2006年に亡くなりました。その葬儀では、絶縁状態だった長男の眞善さんが弔辞を述べることに。
しかし、
なんと葬儀の席で、父を侮辱する驚くべき発言でした。
その弔辞とは、
「ベッドの中に入ったまま、ビスケットをボロボロと食べ散らかしていた」
「ある時では軽蔑すべき人間」
「僕は騙されていたのでは?1対1として、人として軽蔑すらしていました。」
と、ダンディな俳優としても知られる父を真っ向から否定し軽蔑するようなものでした。
これには、デヴィ夫人がブログで真善さん猛反論
甘いマスクで英語、フランス語も堪能、ダンディでエレガントのイメージだった岡田真澄さんはファンファンと呼ばれ親しまれていました。中でもデビィ夫人は、長年の友人でもありました。
真澄さんの葬儀で、痛烈に批判、侮辱したとも言える弔辞に、デヴィ夫人が眞善さんに強く反論しました。
私と ファンファンとは、私が17才の時からの 友人です。長く細い そして濃い、お付き合いがございました。
(中略)
一刻も早く、目を覚まして欲しいと思います。
私や 多くの人が知っている ファンファンは、 素晴らしい人です。そして 紳 士でした。 優しく、 思いやりのある、 人の悪口は一切言わず、人間的に、 大変 立派な方でした。
あなたの父、 「岡田 眞澄」という 一人の男性が、 どんなに悲しく、 惨めで 不幸せな結婚生活(前妻との)を送っていたか、知らないでしょう。
そんなファンファンが 晩年になって、心から愛する女性に出会い、女の子に恵まれたのです。 彼女「恵子さん」は 美しく LOVELYで、ファンファンと とてもお似合いのカップルでした。
すばらしい伴侶と、 愛娘に恵まれ、 やっと愛に満ちた 夢の生活を得た彼が、病魔に襲われました。 まだ幼いお嬢ちゃんと、 愛する奥様を残して。
死にいく彼の気持ちを考えると、私は胸がふさがれる思いでした。ファンファンは 死ぬに 死に切れぬ 思いだったことでしょう。
眞善さん、 目を覚まして下さい。 もう二度と、パパを冒涜しないで下さい。
デヴィ夫人ブログより
そして、葬儀から8年が経ち、なせ葬儀であのような弔辞を述べたのか。その真相を解くべく2014年「爆報!フライデー」の出演で、真意を語るとともに、さらなる告白が、、、、、。
それは、優雅に見えるセレブでダンディな岡田真澄さんは、実は貧困で、偽造リッチだと暴露したのです。
その内容は、
岡田さんは1983年にベストファーザー賞を取るなど、良き父親、リッチなセレブ家族というイメージでしたが、
実際は、極貧生活でした。
・家で取材を受けるときは、三枚重ねのオシャレなパンケーキを披露するも、本当の毎日の食事は、ご飯に味噌汁とお新香だけ。
・テレビ出演するときは、すべてレンタル衣装。(タレントさんは基本、仕事のときは、スタイリストがいて貸し出し衣裳かもしれません)でも、実際は子供の服を買うことができず、兄弟で着まわしていたそうです。
・テレビ局に行くときには、運転手つきのリムジンに乗り換える。実際の車は、中古の軽自動車
このような表面だけ、セレブな生活を演出するも、実際は極貧生活。
理由は、映画が衰退し、舞台などの仕事が多く収入が減少。にもかかわらず、広い家に住み、外見はリッチで幸せな家族のイメージを保っていました。
そして、その後、1988年に「仮面ノリダー」で、ファンファン大佐の役があたりブレイク。人気が上昇し、ベストドレッサー賞、ベストファーザー賞を獲得するなど、さらにセレブのイメージが上がりました。すると、服や宝石にお金をかけたり、パーティに出かけるなど、稼いだお金を投じ、家にはお金を入れなかったそうです。
そのため、実は、眞善さんがアルバイトをしてなんとか家計を支えていました。(この頃は、バブルの時代で、ブランド物や宝石、旅行などにお金を投じていたと思います)
参考:dailyshoncho
すると、1994年。真澄さんは、映画制作で借金するため、「家族に迷惑がかかるから、籍を抜こう」と言い出し、書面上離婚をすることに。
しかし、離婚後も、子供たちが寝静まった後、家に侵入し、金庫から金や学資保険、絵画など持ち出していったそうです。
なんと、離婚から1年後の1995年、26歳年下のCAだった女性と再婚を発表。これで、家族は、今まで信じていたのに、騙されたということを知りました。
しかも父は、マスコミには、前妻やその子供達も再婚に応援してるとまで言っていたそうです。
家族からしたら、これまで父のためにしてきたことがすべて裏切られた、父に騙されたと言う気持ちに当然なるでしょう。これがきっかけで、家族は、父真澄さんと絶縁状態になります。
岡田真澄さんの三男が、2004年に自殺されました。享年26歳。
眞善さんは自身のブログで、「弟さんの死」のこと、その感情をこのように触れています。
精神的に裏切られることは、過去、その「弟に死という選択をさせた」事件で、
僕自身も存分に味わっていたので、
「裏切り」に関しては、慣れている・・・
Shinzen’s EYE!より
原因は、父が原因で、自殺に追いやってしまったと親族は語っています。
眞善の弟は、「東宝」に勤めていたようで、舞台制作の仕事をしていました。
そして、自殺の1年前に、眞澄さんを起用した舞台を企画しました。
ところが、眞澄さんは、愛娘の朋峰さんの運動会が、上演期間と重なっていることを理由に、直前に断ったのです」 参考:dailyshincho
父が実母と離婚、そして、再婚し、捨てられてものだと、当時高校生だった三男は、とてもショックを受けていました。
「父を使う側の人間になる!」とがんばって、東宝に入社したそうです。
やっと、プロデューサーの職に就き、初仕事だった全国規模の舞台に、父親をキャスティングしたにもかかわらず、本番のわずか1週間前に、父親からの突然のキャンセル。
代役も間に合わず、全国の劇場に迷惑かけ、お金がかなり必要になったそうです。
このお金の工面に、会社のために生命保険をかけ、家族にも遺族年金の手続きをしてから自殺。「それが僕にできる最高の親孝行だから」と、母親に告げたそうです。 参考:crockett-jones.seesaa.nat
さらに、自殺の2日前には、こんなこともありました。
しかし、これだけでは、眞善さんがただ子供のように葬儀で父の裏の顔を暴露したように感じますが、実は父を尊敬し、愛してもらいたいと思う、子供心があるようでした。
もし、絶縁状態で恨む気持ちがあるのなら、葬儀どころか、喪主など勤めません。
そして、岡田さんはがんの病で倒れた時、真澄さんは病院へ見舞いにも行ったそうです。すると、眞善さんが見たのは、痛さに苦しみ息を切らす末期がんの状態でした。しかし、看護師さんからは、こんな状態でもいつもダンディに振舞っていると。夢を与えるタレントの仕事、苦しくても、人前では華麗にガウンを肩にかけ颯爽と歩き、岡田真澄さんというイメージを必死に守り貫いていたそうです。そして、死の直前までも、みんなの見守る中、
残された力で、親指を立てて、「Good Luck」のポーズをしたそうです。
どんな苦しくても、最後の最後まで、俳優・岡田真澄として貫き通し、この世を去りました。
眞善さんも役者や表舞台に出るようになり、父と同じような職につきました。今となって、そこまで貫いた父の生き様を胸に、父の後ろを追って行きたいと、父岡田真澄さんを尊敬されているそうです。
長女の朋峰さんが、ミス・インターナショナルに輝き、眞善さんが、再び、恨みの炎が再燃してしまったのではという投稿がー。
眞善さんは、
と、ツィッターに投稿
そして、
弟さんの死に関しては、本当のところ原因はわかりません。しかし、これだけ言えるのは、これに関しては、朋峰さんには全く関係のないということです。
本名は、鑓田にもかかわらず、父の旧姓、芸名でもある岡田を使ったのはなぜか。
朋峰さんは、姓が「鑓田」にもかかわらず、亡くなってしまった父の旧姓を名乗り、ミスコンへ出場。岡田真澄の娘だという知名度を利用したことも否定はできません。
しかし、コメントにもあるように、
「父が見ていてくれるから。」「父に恩返しができたと思う」
と語るように、父の名前を出して、岡田真澄の娘だとアピールすることも父へのメッセージだったのかもしれません。
そもそも、芸名を語るのも自由。彼女にとって父は一人であって、その父の名を借りることも別にアンフェアではありません。
眞善さんたちには忘れたいことを蒸し返すようで辛いかもしれません。しかし酷いことをしたのは父であって、娘の朋峰さんは無関係。
運動会に参加したり、娘に愛情を注ぐのは当たり前のことです。
今後も朋峰さんがメディアでの露出が多くなり、眞善さんも穏やかな気持ちにならないかもしれませんが、現在、眞善さんにも、可愛いお嬢さんがいるようなので、父親の想いが理解できるのかもしれません。
眞善さんと朋峰さんも異母兄弟であり、血が繋がっている家族です。いつか兄弟たちが、平和に仲良くできる日がくると良いですね。