全国健康保険協会のホームページによると「日本人の2人に1人がガンにかかる」と言われています。人の体は、がんになる可能性があるのなら、できるだけ早く早期発見することが何よりです。
日々医療も進化し、治療薬剤も増え期待される中、ステージ4と診断されて、寛解・生還した芸能人も多くいます。その発見時の症状、寛解し現在も活躍する芸能人は?
2007年、ホープさんが57歳の時、医師の知人に食事中に、がん検査を勧められ、何気なく受けることに。
すると、内視鏡検査で、腫瘍が10個以上見つかり、そのうち3つががんであることがわかったそうです。振り返ると、タバコは1日3箱、大酒を飲み、不摂生の毎日だったそうです。幸いにも転移は見られず、手術を終え退院。
そして6年後の2013年、ホープさん63歳。今度は、やたら咳が出たり、痰に血が混じっていたため、気になり病院でCT検査をしてみると、肺に8cmの大きさのがんを発見。前回の大腸ガンからの転移ではない、新たにできたがんだったそうです。そして、医師からは、「手術できなかったら余命半年だ」と宣告。大手術の末、幸い転移もなく命を取り留めることができたそうです。
それから5ヶ月後、急に体重が減り、再び病院で検査。すると、胃と小腸に、握り拳よりも大きな腫瘍のがんが見つかります。この小腸のがんは、空腸という場所で「何十万人に1人」という珍しいがんだったそうです。8時間に及ぶ手術は成功し、その5か月後に、お笑いの舞台復帰へ。
実妹さんも肺がんで亡くなしているホープさん。
がん患者は大勢いる。だから、僕のお笑いライブにがんを患っている人に来てもらって、笑わせたい。
と、4度のがんを乗り越え語っていました。参考:sankei.com
俳優で、7代目「食いしん坊万歳」でも知られる村野武範さん。1日タバコ100本、連日かなりのお酒を飲んでいたそうですが、50歳のとき急に倒れ、医師から「このまま続ければ、あなたは死にますよ」と言われ、タバコをやめたそうです。
それから20年後の2015年、何気なく左首筋を触ると、小豆大のしこりがあり、気になって総合病院に行くと、「風邪だと思うので様子を見ましょう」と言われたそう。しかし村野さんは、熱や咳も症状もないから絶対に風邪ではない、と別の内科の病院へ。
そこでは「精密検査を受けた方がいいですよ」と勧められ、検査したところ、悪性腫瘍だったそうです。さらにMRI、PET検査をすると、医師から「ステージ4、末期の咽頭がん」の宣告。がんは湿潤してたものの、痛みも実感もなかった。その後の治療に関しては、「髪の毛が抜けます、歯がボロボロ、爪も割れ、口内炎で食事が摂りづらくなる」と言われ、医師に余命を尋ねると「アハハ、それは聞かない方がいいですよ。」という答え。その時は、ひどいことを言うなと思ったそうですが、怒ってもしょうがない。すると、奥様が、「別の病院に行きましょう」と、「中咽頭癌ステージ4から生還」でパソコンで検索し、陽子線治療でステージ4の人が助かった症例が多かった東北の病院へ。その病院に2ヶ月半入院。陽子線治療は高額だそうですが、たまたま釣り仲間の友人が、2年ほど前に先進医療保健を勧められて、入っていたので全額カバーできラッキーだったと語っています。
治療の末、がん細胞は消え、その5年経過後も再発も転移もなし。仕事も復帰され、現在もドラマやバラエティ番組で活躍されています。参考:post.tv-asahi.co.jp
2005年65歳の時、キャスターを務めていた「スーパーモーニング」で大腸がんステージ2を発表した鳥越俊太郎さん。もともと記者だった鳥越さんは、自身の病気や、手術のこともカメラに収め記録していました。
そのときのがんは3.3センチもあり、医師から「このがんは10年もの」最近できたものではないとのこと。
それから1年2か月後の2007年、今度は左の肺に手にがみつかり、そのとき医師は、「ステージ2」と告げましたが、実際は「ステージ4」だったと後から知らされたそうです。
その後、右肺と肝臓にも転移が見つかり、65から69歳の4年間に計4回も手術。
病気になる前の鳥越さんは、人間ドックは毎年受けていたけれど、大腸がん検診、便潜血検査は受けていなかったそうです。あるときトイレに行ったときに行くと、便を流した水が黒く濁っており、「あ、これはがんにやられたかもしれないな」と直感的に思ったそうです。
もっと早い段階で見つかっていたら、毎年、便潜血検査を受けていれば、その後の転移によって何度も手術したりしなくて済んだのかもしれない、と検診の大切さを語っており、さらに、70歳から週3回のジム通い、また2012年ホノルルマラソンに出場。8時間19分55秒で見事完走を果たしています。
俳優の小西博之さんが異変を感じたのは、体がしんどく感じ流ようになり体重も20キロ減に。そして2004年、撮影のために京都のホテルに泊まっていたところ血尿が出たそうです。すぐに近くの病院へ行句と精密検査を勧められ、東京に戻ってから検査。すると、腎臓に20cmの顔が見つかったそうです。
それも医師にステージはどのくらいか尋ねると、「ステージはないです。手術をしなければ余命ゼロ」とまで。「日本の腎臓がんで5本の指に入る大きさだ」とも言われ、ショックのあまり家では毎日大泣きしていたそうです。それでも、恩師、萩本欽一さんに励まされ、早く完治して、また仕事復帰することを目指し、治療に専念したそうです。闘病中は、以前ベストテンの司会を一緒に勤めていた、黒柳さんの「徹子の部屋」に出演することを目標に、「出演したら何を話して笑わせよう」と、そんなことばかり考え自分を励ましたそうです。無事に退院すると、ニュースを知った徹子さんから、「徹子の部屋」においでと声をかけてもらい、待望のゲスト出演を果たしました。手術から、17年。完全復帰を果たし、俳優、講演など忙しい毎日を送っているそうです。 参考post.tv.asahi
2010年8月、喉にくるみほどの大きさのがんが見つかり、ステージ4の末期の咽頭がんと公表していたマイケルだクラスさん。実は、当時「ウォールストリートのプロモーションツアーの直前」であったため、医師のアドバイスで、外観が変わる可能性があるかもしれないとして咽頭がんと発表、実際は、舌がんだったことを後に明かしています。
抗癌剤と放射線治療により寛解し、翌年のゴールデングローブ賞授賞式には、夫婦揃って出席。今でも定期的に検査を欠かさないマイケルですが、病から10年以上が経過。2019年には映画「アベンジャーズ」に出演するなど活躍しています。
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