大戸屋 お家騒動・お骨事件簿の全貌「お母さんの味」は継続できる?創業家の株売却で終決か?!他にもいた長男とは

外食チェーン「大戸屋」の骨肉のお家騒動を覚えているだろうか。

全国規模で「大戸屋ごはん処」を展開している大戸屋ホールディングス(HD)創業家と経営陣との間で対立した「お家騒動」が起き、まさに小説さながらの泥沼劇が展開されました。

2001年の上場を機に、全国展開やアジア・ニューヨークなど海外進出を果たした「大戸屋」。これからヨーロッパに向けても意欲を見せていた創業者の三森久美氏が、2014年7月に肺がんによる余命宣告を受けたのが、ことの始まりだった。

三森氏にとって、急速にしなければならない、2つの大きなことが浮上した。

1つは、後継者に、息子である智仁氏をなるべく早く社長として継がせること。

2つ目は、相続税の問題。

 

1つ目についてだが、智仁氏は2011年に新卒で三菱UFJ信託銀行に入社しており、いづれ後継させるつもりで、2013年より大戸屋ホールディングス入社。まずは「現場に出る」という会社のしきたりにしたがって「ビーンズ戸田公園店」に配属。久美氏の病気が発覚した直後に、執行役員社長付となっていた。

そして、2015年6月の株主総会で常務取締役に就任。その1ヶ月後に三森久美氏が死去する。2つ目は、三森氏が持つ株の相続税対策として、功労金8億円支払うということを久美氏は画策していた。

しかし、久実氏の肺がんが発覚してから亡くなるまでが、わずか一年しかなく、これらの問題を全て整えるのはあまりにも時間が少なかった。智仁氏が取締役に就任した、1ヶ月後に三森久美氏が死去することとなる。

そして、騒動の幕開けとなりました。

まずは、事件を時系列で追ってみよう。

 

 

叔父の養子となり「大戸屋」を承継

もともと大戸屋は、三森氏の父方の叔父、三森栄一氏が、1958年東京池袋に「大戸屋食堂」を創業。後継ぎがいなかった栄一氏は、甥・三男である久美氏(当時高校生の時)を、養子に迎える。久美氏は栄一氏から1979年に承継し1983年に株式会社大戸屋を設立します。

当時は店は大繁盛していた。しかし学生や労働者向けのイメージが強く、三森氏は、「女性でも入りやすい店」へ改革すると、「お洒落な定食屋」をコンセプトに急成長していきます。

久美氏の死去により、三枝子氏と智仁氏は、計18.67%の株式を相続します。

 

きっかけとなった焼き鳥屋事件

久美氏の葬儀から3日後—。

智仁氏は、窪田社長より「香港赴任(10月1日付)を言い渡されます。これに快諾し、香港への準備を進める中、

8月、会長の追悼のために、窪田社長と智仁氏、そして海外事業部の前任者も引き継ぎのために同行し、三森氏もお気に入りだった焼き鳥店で席を設けます。

これからの引き継ぎや、今後の会社のために良好な関係を築く予定が、結果、悪化してしまうことになります。

お酒の勢いもあり、次第にそれぞれの思いをぶつけあう2人。

 

智仁氏「僕が正当な事業の承継者だ」

窪田社長「もっと経験を積まなければ誰もついてこないぞ」

最後には、「もう会社に来なくていい」と言いはなち、その場を後にしたそうです。

 

その1ヶ月後—、

三枝子夫人の逆襲とも言える、あの行動に出ます。

 

「お骨事件」

(第三者委員会が調査報告書よるとー)

9月、遺骨を持った三枝子夫人と、その後ろに、位牌、遺影を持った智仁氏は、裏口から社屋に入り、社長室に入室し、鍵を閉めました。

社長のデスクに、遺骨、位牌、遺影を置き、そのあと智仁氏は退室。

三枝子夫人と窪田社長の二人きりになると、三枝子夫人はー。

 

 

「あなたは大戸屋の社長として不適格。相応しくないので、智仁に社長をやらせる」

「あなたは会社にも残らせない」

「亡くなって49日の間もお線香を上げにも来ない」

「智仁は香港へは行かせません」「9月14日の久実のお別れ会には出ないでもらいたい」

 

など、30分にわたり詰問したとされています。

これが原因でか結局、香港赴任の話は立ち消えに。

この頃になると、お互いの溝は深まり、当人同士の修復が難しく、相談役でもあるK氏が、窪田社長と智仁氏の間に入り取り持つようになります。

K氏は、三菱信託銀行出身で、大戸屋の社外会長を務めた後、相談役になっている人物です。久美氏も信頼を置いていた人物でもあり、智仁氏も小さいことから知っている人物。

しかし、

9月に入ると、メインバンク(三菱信託銀行)の態度が変わります。これまで久美氏が、注力してきた、「山梨の野菜工場」「上海事業」「祇園三国」など採算が取れていない事業に対し「負の遺産」と表し、難色を示しめしていると、間に入ったK氏から、智仁氏は聞かされたそうです。

 

 

会長死去後、入れ替え人事が

11月には、臨時取締役会が開かれ、新しい人事がー。

総入れ替えと言えるほどの人事改革となりました。

それには、智仁氏は常務から外され、ヒラ取締役の降格と香港事業部長に。

そして、久美氏が存命中に久美氏の意思で取締役から外されたものたちが、復活していたのです。

三森教雄氏(久美氏の実兄)が社外取締役に入った以外は、創業家に近いものたちが降格された人事だった。

驚いたことに、間を取り持っていたK氏は、この人事で相談役最高顧問に復帰に返り咲きしていたのです。

窪田社長もK氏には頭が上がらな人物。

ちなみに、三枝子夫人、智仁氏は筆頭、第二株主ではあるものの取得後一定期間は決議に行使できない状況だったそうです。

金融の世界ではないけれど、裏が何かで動くような、まさに、半沢直樹のドラマのようですよね。

 

そして、智仁氏には、再び香港赴任の辞令

しかし、

2016年2月、智仁氏は辞任を提出します。

 

 

大物フィクサーの登場

智仁氏が辞任し、経営側を後にしたことで、

双方の対立を、代理して取り持つ者が現れました。

創業者側(智仁氏、三枝子夫人)=正木烝司氏

経営側(窪田社長)=K氏(最高顧問相談役)

という構図ができ、戦場が広がりました。

この正木烝司氏とは、大物フィクサーとして有名な人物。

コンサルタン会社社長で、政財界にまたがるクライアントを持っている。あの「劇場型乗っ取り」と言われた、ライブドアによるニッポン放送数の買い占め事件で、ライブドア堀江貴文氏と、フジテレビ日枝久会長の壮絶なバトルが繰り広げられました。その時、このフジテレビ側の日枝氏に、和解を勧めたのが正木烝司氏。その後、フジテレビがライブドアからニッポン放送の株を買い取ることで和解しました。

正木烝司氏も業界では知られている人物であるが、正木烝司氏の一族がまたものすごい。父は、「アラビア太郎」と呼ばれた「山下太郎氏。戦前、満州鉄道の社員住宅の建設を一手に引き受け財を成しただけではなく、戦後は、ケタ外れの行動力で、海底油田を一発で掘り当て、アラビア石油(株)を創業した人物であります。

 

その、強力な助っ人、正木烝司氏が、

K氏のことを『久美氏の死後、謀略戦略による会社乗っ取りだ』と批判。

この批判を受けて、

K氏は、取締就任から、わずか3ヶ月で辞任しました。

 

 

態度を変えたメインバンク

整理すると、智仁氏は辞任をしているものの、

2番目の大量保有株主でもあり、三枝子夫人は筆頭株主。

この相続税に関しては、10億円ほどかかる予定だったため、功労金として8億円を出すというスキームを、メインバンクと父である久美氏が約束して死去に至ったはずだった。

しかし、2017年6月 株主総会にて、メインバンク側が、これまでの負の遺産がある状態なのだから、功労金8億円をそれらの修復に当てるべきだという案が持ち上がり、功労金の8億円は立木絵となり、結果2億円に功労金は減額されたのです。

 

これには、創業家が激怒。

しかし、どうすることもできず、結局、相続税は、三枝子夫人の株を担保に、銀行から3億円借り入れ支払うことになりました。

これまで、相続税を支払うために、会社側から「株の買い取り」オファーがあったそうですが、創業家側は、株の保有数を減らしたくないため、拒否していました。

株があれば筆頭株主をキープでき会社に物申すことができます。

 

そんな中、大戸屋を辞任していた智仁氏は、高齢者向け宅配事業「株式会者スリーフォレストを立ち上げ、父と同じ経営者の道を歩み始めます。

また『創業家に生まれて~定食・大戸屋をつくった男とその家族』を2017年6月に出版。

 

 

流れを変えた「全株の売却」のきっかけは、返済とバイトテロ

しばらく小康状態が続いていたと思われましたが、

創業側は、相続税のために3億円を借り入れしていた銀行から、返済についてせっつかれていました。

仕方なく、智仁氏の持っていた株(5.60%)を売却して返済することに。

智仁氏の株だけ手放せば、三枝子夫人は筆頭株主を残れるはずでしたが、なんと、一緒に三枝子夫人も売却することにしたのです。
その理由はー、

三森久美氏が亡くなってから、お家騒動などメディアでも騒がれたり、これまで会社を引っ張ってきた創業者がいなくなると、社内の統制が崩れてきていました。

そして2019年、店のアルバイトが、商品のプリン口に含み、またズボンを脱ぐなどの不適切動画がSNSに投稿され、いわゆる「バイトテロ」が発生。この一件で大戸屋は全店を休業し、従業員の再教育を行い役員の報酬を減給、また1億円の下方修正を発表しました。

このような事態を受けたことに、三枝子夫人も、もうこれ以上株を持つのは怖いと、思うようになり、保有する株の全売却を踏み切ったそうです。

 

証券会社に、全売却する意思を伝え、買ってくれそうな飲食企業を10社ほどリストアップしてもらい、2019年10月 コロワイドに売却することが決定したのです。

 

これには大戸屋経営陣たちも驚きました。これまで会社側からの株の買い取りオファーも、拒んできた三枝子夫人と智仁氏。いづれ智仁氏は、会社に戻ってくると、社外取締役の叔父でさえもそう思っていたのです。

 

新しい筆頭株主が誕生

コロワイドは、2019年、約19%の株を取得後、筆頭株主となり、大戸屋側に買収の提案します。

いきなりの申し出に、大戸屋はこれを拒否。

コロワイドは飲食業界でも大手企業。一部上場企業であり、飲食のノウハウもあります。

コロワイド会長の蔵人金男氏は、「やるからにはトップの定食屋にする」と意欲を燃やしていいました。もし、コロワイドの傘下に入れば、双方の食材のコスト削減を図れます。コロナの影響で双方の売り上げも減少している中、お互いのコスト減になる策にもなります。

しかし、大戸屋は、味や鮮度にこだわり、これまでセントラルキッチンでの調理法を貫いており、これがコスト高、そして時間がかかるということも重しにもなっているのも事実です。かといって、材料調達をかえセントラルキッチンを減らし、コスト減にしたために味が変わるなど、品質維持できなければ、客足が遠のくことにもなりかねない。

業界大手のコロワイドが実権を握り、味や鮮度を落とさず、コスト高をどうやって改善するののかー。

そして、翌年4月、コロワイドは、大戸屋HDの株主総会で、12人の取締役を選任を求めました。内訳は、大戸屋側からは窪田社長を含む5人、コロワイド側からの関係者は7人の計12人。注目するのは、コロワイド会長の息子・蔵人賢樹氏、そして、三森智仁氏もコロワイド側が新しく人選した候補に挙げ、智仁氏が経営に返り咲く提案でした。(結局この提案は否決)なんだか政権の閣僚を見ているようですね。

2020年7月9日 コロワイドがTOBを発表。同月20日大戸屋はTOB反対を表明します。9月コロワイドは、株式51%を保有し、TOBが成立したことを発表しました。結果的には絶対的買収でいわゆる法的な乗っ取りという構図になってしましました。ただこれが悪いわけでもなく、良い方向に向かうこともあります。一つにはコロワイドは業界のプロでもあるということです。もちろんやブランドの質を落とし客離れ隣、売り上げを落とすような戦略はしないはずです。51%の株式を取得。敵対的買収に踏み込みんだ、いわゆる法的な「会社乗っ取り」という構図になりました。

 

大戸屋にとっては、事前に相談もなく、コロワイドが約19%取得したところで、交渉をし始めたことには驚き、コロワイドの買収による介入には拒否を示していた。しかし、コロワイドも業界では、大手、やるからには、世界一の定食屋にすると申し出たそうです。

そして、2020年6月 代表取締役社長に蔵人賢樹氏が就任

 

 業界では成功している大手企業 コロワイド

コロワイドが親会社になれば、食材調達のコスト削減が図れます。また、コロナの影響で、双方が売り上げが減退しつつある中、コスト削減は大きな課題。

特に大戸屋は、味を追求することで、コスト高、セントラルキッチンで時間をかけて提供するなどのこだわりがあった。

コロワイドの傘下に入り、コスト削減したことで、鮮度や味が低下するなど影響があると、客離れや本来の大戸屋の良さがなくなる可能性もある。

味は変わるのか、コスト削減・価格値下げの可能性、統制を図れるか(社員教育・社員モラル)

それは、私たちが味を確かめ、今年にも評価されてくるはずです。

実は、もう一人いる実子・長男の存在

今回の騒動は、会長三森久美氏の死去から、始まったお家騒動。久美氏は、経営熱心でほとんどすべて自分で決めて作り上げてきた帝国。その帝王が不在となり、創業家と経営陣のズレが生じてしまった。そもそも、久美氏には、実子である智仁氏には兄が存在する。久美氏は、三枝子夫人と結婚する以前に婚姻しており、長男が誕生している。つまり、お家騒動の中心でもあった三枝子夫人は後妻で、智仁氏は次男ということになる。長男の母とは、長男が幼少期の頃に離婚しており母親が長男を引き取ってアメリカで生活。三森氏は自身の命の長さが見えていたのだろうか。2013年に、長男が30歳を過ぎてから、大戸屋に従業員として迎え入れ修行させていたのです。

その長男は、アメリカ生活が長いことから、大戸屋の海外支店に配属。お家の中のことまではわからないが、特別な遺書がなく単純相続だとすれば、長男も智仁氏と同様の相当の株を相続することになっているはず。美枝子夫人と智仁氏が中心と動いているため、智仁氏を長男と記しているメディアもあるが、実査には、三森家の血を引いた長男という、もう一人創業家が存在することも知っておきたい。

大戸屋の創業は、久美氏の伯父が池袋の駅前にある定食屋「大戸屋」をはじめ、久美氏が養子に入っている。その叔父が早くに他界し、まだ20代の三森氏が店を引き継ぐこととなった。80年代の大戸屋、駅前の路地にあった店を私も覚えている。昼の時間には、若い学生やサラリーマンでいつも列ができていたほどだ。定食もありがたい価格で五百円ぐらいからあり、メインのおかずにご飯に味噌汁というメニューで、ご飯、味噌汁がお代わり自由。食べ盛りの学生や、働き盛りのサラリーマンで店はいつも繁盛しているように思えた。

三森氏は支店を増やし、株式公開と共に、全国に店を構えるまでになったのだが、

創業者という立場から見ると、三森氏の兄弟もまた、大戸屋をこれまでずっと支えてきたことにもなる。

三森氏の経営でここまで成長したことには間違いはないが、三森氏には、2人の兄がおり、兄は家業を継ぎ(のちに大戸屋の野菜工場)、次男は医者に。三男の三森氏が養子に出され叔父の店を受け継いだわけだが、、三森氏からしても、兄弟からしても同じ叔父。実際に、兄弟(長男・次男)も大戸屋の店を子供の頃から見守ってきたのには違いない。そして、山梨工場とされる場所は、兄弟たちが育った生家でもある。また、社長の窪田氏は、三森氏の母からの叔母の子供(いとこ)であり、親戚関係にもあたる。

創業者の兄弟からも思いが深い会社を、まさかお家騒動から亀裂が入り、相続がきっかけで会社が他の企業にわたることになってしまった。

 

もし、初めの段階で、すぐさま智仁氏を社長にしていれば、騒動にはならなかったかもしれない。会長の病気発覚が7月、約1年後の次の株主総会6月で決議を得るにはかなり強行手段。やはりそれを良しとしない動きもあった。

結果、お家騒動からの深い亀裂、双方の歩み寄りができない中、外野から翻弄され、相続税を払う予定だった功労金にも拒まれ、仕方なく株を売却するしかなかった。

天国の創業者も予想もしない不本意な結末だったかもしれない。しかし、将来性があるからこそTOBにかけられた訳であり、幸いにもコロワイドは業界大手である。

どちらが主導を握るにしろ、コーポレートガバナンスをきちんと統制し、これからも良い品質のものを提供する大戸屋、あの昔の大戸屋「消費者のことを想ったサービス」を期待したい。

<参考文献>NHKサクサク経済日経ビジネスケーススタディ日経ビジネストップリーダーかく語りき、産経新聞、 ビジネスジャーナル大戸屋コロワイド、ビジネスジャーナルデータマックスIBコンサルティング

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